「井上清七薬房」の始まり

初代は「河内屋清兵衛」といい木綿問屋です。元禄13年に京都に移り摂津高槻藩主の御用達として出入りします。居地は現住所と同じ場所です。当時、都では「はやりめ」を患う患者が多くいました。「はやりめ」は風目(擬似トラコーマ)ともいい感染力が非常に強く周りにうつることがありました。このとき清兵衛は何とかならないかと目薬の研究に苦心します。そして、ようやく目薬を完成させ禁裏御所に献上し「宮内省御用」を受けます。この目薬を広く目を患う人々に施薬したので河内屋目薬の名が知られ施薬を乞う人がいたとのことです。時は宝永2(1705)年になります。
後を継いだ二代目河内屋清六が販売の道を広め、一般に販売しています。その功があり商いが軌道に乗ります。

目洗い薬

この薬は看板に目洗いとあるように目を患ったときに原因となるものを洗い流すための洗浄薬です。「紅絹」の布に包まれ「蛤の殻」に納めた可愛らしいもので今まで知っていた目薬とは全然違います。
効能は、ただれ眼、流行目、のぼせ眼、やに眼、かすり眼などになります。

成分は、中国の本草綱目(李時珍、1570年)で眼病によく効くといわれている炉甘石が主成分です。その他には、梅肉、氷砂糖、酸化亜鉛、カンフルなどがあります。これらをハチミツで練り合わせペースト状にしたものを一つずつ「紅絹」に手で包みます。器に用いた蛤の殻はトレードマークでした。「紅絹の布」は福島産の紅花で染めています。
看板に「一子相伝」とあり、最終工程の調合は当主自らが行い家督を継ぐ者以外には作業をさせませんでした。
使い方は、二~三倍のきれいな水でもみだします。紅絹の中から乳液状のものがでてきます。それをまぶたの内側につけます。
一日数回点眼しますが、乳液状の液体がでる間はそれを使います。炉眼石に含まれる微量の金属イオンが徐々に効力を強めて殺菌消炎作用を発揮します。

「御免薬種仲間」鑑札

現存する「御免薬種仲間」の鑑札は宝暦10年(1760年)と嘉永6年(1853年)のものが残っています。
御免薬は権威があり後世に至るまで広く商いに使用していました。

効能書き

江戸期 井上春耕軒(6代)名
明治 効能書き

偽薬「井上清七薬房」

偽薬も横行しました。堂々と「井上**薬房」と名乗っているものもあります。そこで、辻売の得体のしれない模造品を区別するために「官許の文字入りの看板を大きく掲げ」ました。

類似商標の資料

眼病の坂本龍馬

この眼洗薬のことは、平賀源内も書物に書いています。また、坂本龍馬(1867年12月暗殺)はしばしば眼病に悩まされ、自宅から歩いて10分ほどのこの店まで井上目洗薬を買いにきたと伝わっています。

建物強制撤去

鍋屋町強制疎開時現況記録

「井上清七薬房」には数々の物語があります。特に、昭和20年8月15日玉音放送が流れた日、日本軍による強制撤去が実施され取り壊し作業が行われる予定でした、正にその当日に終戦となり「作業中止」となっています。京都は米軍による空襲の被害は免れたと言いますが、焼夷弾による類焼を防ぐために計画的な家屋の取り壊しが行われました。多くの町屋が強制撤去される中、「井上清七薬房」の家屋入り口にも「張り紙」が貼られ、家財の引越を済ませ取り壊しに備えていたそうです。「井上清七薬房」の町屋は奇しくも残ったのです。

「井上清七薬房」廃業

「井上清七薬房」は300年近く「官許」目洗薬屋を商っていましたが、昭和62年(1987年)に製造を終え、令和に入り”廃業届”を出しています。廃業の経緯は、「薬事法」の変更で製造設備の改修などが困難だったためと聞いています。

目薬の製造道具はエイザイ記念館に寄贈しています。
製造終了後も問合せに対応し、在庫販売を平成9年(1997年)まで続けました。

伊藤若冲の天井画など

当家は東山仁王門にある信行寺の檀家です。月命日には今も住職がお経を上げに来られます。信行寺の歴史を見ると、天井画を寄贈した人物として檀家総代の井上清六という人物の名前が上がっています。(井上清六は当家5代目です)散逸を恐れて伊藤若冲の絵を古物商から買い取り、まとめて寄贈したそうです。

古い写真

主なエピソード


宝永2年(1705年) 初代河内屋清兵衛開業 
        *宮内省御用を受ける
宝暦9年(1759年) 御免薬の鑑札「御免薬種仲間」を受ける 

天明8年(1788)年 天明の大火で全焼
寛政10年(1798年) 名字帯刀が許され御所御参間殿の出入りを許される
         御製薬所御目あらい薬の免許(宮中御用)
元治元年(1864年) 蛤御門の変(どんどん焼け)で建物被災 
元治2年(1865年) 建物再建
明治7年(1874年) 官許免許交付
明治33年(1900年) 特許局に商標登録

昭和10年(1935年) 満州国で商標登録認可
昭和20年(1945年) 立ち退き命令 
昭和45年(1970年) 井上文化サロン開設
         *「めあらい薬」販売不振となる
昭和62年(1987年) 目洗薬(井上目薬)の製造を終える 
平成26年(2014年) *町家継承について協議を始める
令和4年(2022年) 「指定京町家」認定、”京を彩る建物や庭園”選定登録   
         *京町家「井上清七薬房」としての動きをスタート 
令和5年(2023年) 「歴史的風致形成建造物」指定 
令和6年(2024年) 「えほんや福」開業
令和7年(2025年) 「景観重要建造物」指定
         北棟表棟改修工事