これからどうしていくか?

平成26年(2014年)11月29日
どのように保存していくか?を考える前に現状を確認することから始めました。以前より、井上家には相続人がいないので、当主からは町屋を維持していく体力が無くなる頃合いを待って、すべてを売却するしか術はないのでないのか?とは伺っていました。
改めて、築150年の町家が取り壊され、マンションに生まれかわることを想像すると、なんとかならないのかと思わざるを得ません。これは300年を超える商家が脈々と受け継いできた伝統が途絶えるというノスタルジックな感傷だけでなく、この「井上清七薬房」を保存し活用できる方法はないものかとを強く感じます。

本日、改めで話しを伺い、「物語」材料が多い町屋と感じるとともに、保存の必要性を強く印象付けられました。

(以下は聞き取りの箇条書きになります)

・坂本龍馬(1867年12月暗殺)が利用した目薬屋。「紅絹の目洗薬」を製造販売していた。

・徳川綱吉の時代から300年以上、11代続く「官許」目洗薬屋。20年前まで実際に営業していた。
残念ながら製造道具はエイザイ記念館に寄贈。この件で、後日京都市役所から一民間企業に勝手に寄贈してもらっては困ると指導が入る?(当時、そう言うなら、市の方で資料館作れと怒ったそうです)

・戦前は、満州、台湾まで商圏が広がり、繁盛していたようで、偽薬も横行 井上**薬房は全て模造品です。
廃業経緯は、薬事法の変更が商売を難しくしたため。家庭薬は製造工程を専門化できない、設備も近代化できない・・・。

・全国を行商して販売していた。商品は軟膏?なので、後半は痔の薬として流通したと伺う。

・建物維持など経費も掛かるので市役所に寄付を申し込んだが、何故か拒否された。

・当家には大学の先生など多くの見学がある。みなさん保存すべきだと言われるが・・・・?。具体的な提案など、後が続かないでいる。

・規模の大きな町家になり、個人所有では維持は困難だと考える。

・改修にあたり、業者が言うには、現状維持や修繕するのに足場が取れない、重機が入れないなど費用がかさむと要因が多く、二の足を踏まざるを得ないと嘆く。

裏庭に土蔵が2個あります。3つある井戸は枯れています。虫籠窓の裏、箱階段の上、茶室の中など見ていない箇所が多くあります。

・メディア取材、写真集掲載の多い町屋 最近ではNHKが「通り庭」を取材を受けている

・毎年、年2回植木職人を呼ぶ
・松の葉の枝が樋に詰まった時は、梯子で取り除く

・苔の上はピンセットで除去・現在の家は、蛤御門の変(1864年8月20日)で全焼した後に建て替える。築150年。

誰も住んでいない、お化け屋敷?と言われているほど劣化している。


このブログの後、2022年6月まで約8年間の活動記録はプライベート関連が多く非公開としました。


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